秋月ダイアリー

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『何様だよ。』という発言をするやつがどれだけバカか。

 

例えば、学生A君が芸能人Bさんを批判したとして、

 

『何様だよ。』

『自分をなんだと思ってんだよ。』 

という野次馬Cさんがいっつも出てきます。

 

アホです。

 

全くのアホです。

 

この野次馬Cはこの発言だけで、

『人間には階級がある』という甚だ笑える勘違いをしていることを露呈している上に、

 

その裏側には、『僕は空気を読んで生きているのに、空気を読まずに好き勝手言うお前は許せない。』

 

という自己正当化があることも露呈してしまっていて、恥ずかしすぎます。

 

階級を気にせずに好きなことを言って、好きなように生きている人間を許してしまうと、

 

ずっも階級を気にして、苦労して生きてきた自分を否定することになると無意識の内に感じているんです。

「やるべきこと」をやってる人は、「やりたくて」やってる人には一生勝てない。

 

客観的に「やるべきこと」なんてものはないと思っています。

 

やるべきことというのは、主観的には僕はこうした方が良いと思う。という意見でしかありません。

 

それを客観的に誰もがやった方がいいもの。と捉えるのは危険です。

そんなものは存在し得ないと思っています。

 

 

同じように、「やっちゃいけないこと」も存在しません。

「やったら捕まってしまうこと」はあるけど、なにもそれをやっちゃいけないわけじゃない。

 

例えば殺人。

 

10人で家族団欒ご飯を食べていたとして、そこに無差別殺人者が入ってきた。

 

10分後、10人の家族は全員死んだ。

 

もしその時、家族が一人も殺されることなく、その殺人者を先に殺せたとしたら。

 

その殺人は悪だろうか。正義だろうか。

 

その家族は全員死ぬべきだったのだろうか。

殺すべきだったのだろうか。

 

殺人でさえ殺すべき主張が生まれる。

それであれば、世の中のどんな物事も、肯定する理由も否定する理由もあるんじゃないか。

 

物事は状況や、視点、主観によってガラリと意見が変わるものなんじゃないか。

 

つまり物事自体に、~べき論は存在しないんじゃないか。

 

人はやりたいことをやるしかないんじゃないか。

それが本当にやりたいことであれば、そのために必要になるやるべきことさえも、やりたいことに変わるんじゃないか。

 

 

 

それに、いつだって、 

「やるべき」とか「やらないべき」とか、そんなものは

「やりたいこと」「やりたくないこと」には絶対に勝てない。

 

 

修学旅行で、「早く寝ろよ~!」と教師に言われても、

見回りの教師が部屋の前を通り過ぎた瞬間にまた生徒は話始める。

 

そこにはどんな正論も通用しない。

やりたいことをやってる人のエネルギーは凄い。

 

 

生産性の面から見てもそう。

 

勉強が好きで勉強をしている人に、勉強すべきだと思って勉強しても勝てるわけがない。

 

勝てないのに、やりたくないことで勝とうとする、無駄なんじゃないかな。

 

逆にやりたいことであれば、勝てるんだから、そっちをやるべきなんじゃない。

 

これからは、AIがやりたくない仕事をやってくれるようになって、

どんどんやりたいことをやってる人間だけが生き残っていく時代になると思うし。

 

 

あるのは「やりたいこと」と「やりたくないこと」だけ。

 

 

ただ残念なことに、

やりたくないことを、やるべきと勘違いをして、やってしまっている人がいっぱいいるわけです。

 

「授業行きたくねーなー、さぼろっかなー」と言いながら大学に通っている大学生。

「バイトつまらない。だるい。」と言いながらバイトに向かう大学生。

とても面白いです。

 

天才です。

 

それをもし4年間も続けられるとすると、もはや偉人でしょう。

あなたにはどんなことも我慢し、やり抜く力があるように思えます。

 

やりたくないことを4年間もやり続けるなんて、僕には到底できません。

 

 

 

ただ、それでいいのかは疑問です。

 

おそらく本当に自分がやりたいことに気付けていないのか、

気づいているのにも関わらず、何かと理由をつけて思考放棄してしまっているか。

 

 

僕は、やりたいことを見つけて、それを徹底的にやる。

これって人間として最優先事項な気がします。

 

これが出来れば日本の経済はぐーんと伸びそうですね。

 

なぜなら、先ほども言ったとおり、

やるべきと思ってやっている人より、やりたくてやってる人の方が生産性が抜群に高いからです。

 

簡単にGDPが10倍とかになりますね。

 

けどならない。

 

それは「やる選択」よりも「やらない選択」の方が楽だからだと思います。

いや、「やらない」と選択出来ている人も少数で、

決断をしない結果、やっていない状態になっていると言う方が正確かもしれません。

 

 

大学に行っている人の半数くらいはこれだと思います。

 

「おれは大学に行きたくて、行った。」と思っているかもしれませんが、違います。

これは、他人の思想を自分の思想だと勘違いしているだけです。

 

本当にやりたいことを見つける。それで食っていくことから逃げた結果、

「やりたいことをやる」という選択から逃げるための行動が、

みんなと一緒に大学受験、です。

 

そう、そこには間違いなく「みんな」というキーワードがあります。

 

先程も言ったとおり、他人の思想で自分の行動を選択してるんです。

「~すべき論」で行動しているとも言えるかもしれません。

 

 

もし「~すべき行動」から、「~やりたい行動」になれば、

本当に楽しい人生と経済成長が待ってる気がします。

 

 

やりたいことをやる選択には少し勇気がいるかもしれませんが、

思い切ってやってみて欲しいですね。

 

そんな人たちと一緒に仕事をしたいと思っています。

 

 

僕は50円でなんでも手伝っているので、

興味があれば、相談でもなんでも連絡ください(^^)

andymori0407@gmail.com

 

 

 

 

 

生きる意義を考えている人へ

 

生きる意義とかってポジティブなストロークなら考えてもいいと思うけど、


マイナスなストロークで、
「僕、私ってなんで生きてるんだろう、人って結局死ぬのに生きる意味ってあるの?」

みたいに考える人は案外多いと思う。

 

本当に無駄だから、今すぐ死ぬか、本当はやりたいと思っていることをやるかどっちか選んだらいいと思う。


やりたいことがない、なんて人は人である限りないはずで、無駄な理由を並べて、自分がやりたいことを押し潰してるだけなんだから。

 


本当にセックスしたいとかそんなことでもいいのよ、ゲームしたいとかでもいいのよ。


「いやいやそんなこと、、、」とか「ダメ、やめなさい」とかって言ってるのはいつも周りでしかない。

 

自分で決めて自分でやっちゃえばいい。


そこでもし、もうちょっと頑張れそうだったら、『やる』だけで終わらせずに、『やり切って』みてほしい。

 

一回セックスしてすっきりしちゃうんじゃなくて、ちょっと本気で取り組んでみようかな、みたいな。


どんなことも、殆どの人間はやるだけで満足するか、飽きてしまうから、
もしやり切ることさえ出来れば、もうそれだけで違う世界が待ってると思う。

 


やり切る基準にもよるだろって思うかもしれないけど、そんなことはない。

 

どんな基準でもいい、自分が納得できる基準でもしやりきれたなら、その人は絶対に次のステージに立っていると思います。